2011年04月10日
脳内ネガ

日常の中の本当に10年先にも、多分50年先にも覚えてるような大切な景色ってのは、どれも写真に残ってなかったりします。
ついその辺の、そして5分前までの下世話なおしゃべりの合間の、そんな「極上の日常」(数年前に友人が言ってた言い回しですが)は、気づかない間に脳裏に焼き付いてて、後からその価値を振り返る訳ではなくて、やっぱり、その真っただ中にあっても、他の使い去られる日常とは、違う雰囲気が既にその時点で漂ってたりするもんです。
「出来事」は「思い出」になった瞬間に、少なからず脚色されるものですが、その脚色は決して悪いことばかりではなくて、それを自分の中や、ある特定の相手に対して披露する場合に於いては、ギフトラッピングみたいな働きをしてるような気がします。
思いがけなく、素敵にラッピングされた「景色」をプレゼントされるタイミングを得られた時は、もうその相手の会話の内容すらぼやけてしまうほど、切ないような、嬉しいような、涙ぐみそうな、こんなあたしでも、なんだかとっても優しそうに微笑んでしまってるんじゃないかって思うような、そんな形容し難い気持ちになって、おでこの裏側あたりが微かに温かくなるような、そして頭の中が薄ピンク色の霧に包まれるような感覚になります。
なんとなく、自分と相手の周りにふんわり空気が動く感覚もあったりします。
多分、そういう瞬間って、時間の概念や色んな社会的立場や、道徳心みたいなものは、存在しないのかもしれません。
季節の変わり目に夜の海なんかを眺めて煙草を吸ったりすると、そんな普通の中の普通のことをしんみり思ったりするもんです。
「しんみり」を共有できるってのは、とっても幼く、単純で、たいした思惑もない「特別中の特別」な相手なのかもしれませんね。
Posted by oG*mama* at 05:49│Comments(0)
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