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2010年11月26日

ロマンス

「一瞬を永遠と思えれば、永遠は存在する」みたいな事を書いてある本を中学生の時に読んで、こんな言葉遊びみたいな、少しいんちきみたいな言葉に、納得もしないまま、今も、それって「コレ」のこと?「アレ」のこと?とぼんやり想っては、結局、なんだかよく分からず、「永遠」ってことに実はあんまり実態もないし、興味もないんだろうなぁって思っています。

だからと言って、刹那的ななにかを価値あることみたいに言うほど、精神的に若い訳でもなく、そういう「尺」事態に意味を感じられない自分に気がつきました。

でも、こういう類の言葉って、「時間」のことではなくて、「精神的」なもんをきっといってるんでしょうね?

そうすると、それってとっても個人的なことで、誰かとそれが共有できるとすれば、それは稀有な精神的なつながれた相手とだけな気がします。

だから、逆を言えば、それを共有できる相手ってのは、それが例えば同性同士だったとしても、種を超えていたとしても、なんだかロマンチックな関係であることには違いない気もします。

いくらも長くない人生の中で、そんな人に1人も出会えなかったとしても、そんなのは寂しいことでも、悲しいことでもなくて、当り前で、大概の「永遠」だの「刹那」だの言う関係性は、どっかで辻褄合わせだったりするんだろうなと思うのです。

それでも、ラッキーなことに、種だのなんだのを超えて、そういう存在に出会えてる人ってのは居る訳で、もしかしたらあたしが思う「そういう相手」ってのは、どこまでの正確さがあるかは不明ではあっても、やっぱりいる訳で、そう思うとなんだかあたしは、非常にラッキーなのかもしれないなぁと思うのです。

「ロマンチック」な感覚ってのは、どんなに所帯じみた日常の中にあっても、そこは本当に異空間で、不思議なもんです。

後から、思えば夢だったみたいに儚くて、それでもそれは全然、夢なんかじゃなくて、不安定で不確かなその感覚は、意外にしぶとく頭や体に刻まれるのです。

それが、後の自身の人格や正義心も左右してしまったりするんだから、えらいことです。

ロマンチックな映画を見たんです。高校生位の時から、何度も何度も見た映画です。

デトロイトの深夜の映画館で出会った男の子と女の子は、未熟で、短絡的で、突発的で、感情的で、すべてが破滅的。でも、そんな夢みたいな時間と感覚は、一生、治らない病気みたいにそれぞれの感覚の中に住みついて、時々彼らをロマンチックな気持にさせるんでしょうね。

思い出や、過去の記憶だけで、生きられるほどあたしはまだ歳をとれてないけど、「今日」の記憶や感覚は、確実にその過ぎたものに引きずられてここまで来てはいるんでしょうね。


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Posted by oG*mama* at 07:13│Comments(0)ライフ
 
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