☆ピースオブケイク☆
歴史に「もしも」は無い、なんて言いますね。でも、「もしあの時」と考えてしまうのも悲しき人の性。
普段はすっかり忘れてる様な、以前の小さく切ない色々な想いやエピソードが、日々の中で不意に聞こえてくる音楽だったり、出くわした景色だったり、風に乗って近づいてくる香だったり、そういうモノに刺激を受けて、思い出してしまって、「もしあの時」と無意味で甘ったれた感傷に陥ったりするのです。
こんな時の感覚は、すっかり日本語の領域を超えており、世界中の誰とも共感できないとってもプライベートな内容と状況なのです。
頭の悪いあたしは、すぐにこんなことになってしまう訳ですが、自分だけがタイムスリップみたいに今いるそこから昔の一瞬に戻ってる時に、平静を装うとして周りを見渡せば、意外に隣にいる子が、同じような顔で、ぼんやりしてるのなんかに気づくと、それはまた別の意味でそわそわするのです。
多分、こういうことはあたし特有のなにかなんかじゃなくて、誰にでもある日常の話なんですが、全く所帯じみた退屈な日々の中で、少しだけロマンチックな気持ちになる瞬間でもあるんですよね。
普通の会話に見せかけた、暗号染みた会話だとか、下を向いた瞬間に睫毛の間から送られる視線だけでする会話だとか、手の甲が偶然ぶつかった風を装ったサインだとか、そこには何の変化や結果が含まれてはいなくても、ストイックでプラトニックな子供っぽい感情だけがクルクルあるのです。
その周りの景色がたとえスーパーマーケットでも、コインランドリーでも、ありふれたキッチンでも、あたしをワクワクドキドキさせるに十分なのです。
過去の「もしも」は1ミリも動きませんが、未来の「もしも」は誰も分からないんだよなぁ。
小さな小さなそういうあれこれに、期待を持ったり、不安になったりするのは切なくも思いますが、結局は楽しいような気もします。
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